ひとつぶ ひとつぶ

ヨーロッパ在住。旅行ブログ

ラーメン

一蘭ラーメンの自販機

高校生の時福岡に住んでいた私にとってラーメンはもっと身近なものだった。そして、もちろん味噌でも醤油でもなく、とんこつラーメンの一択だった。

部活帰りにもラーメン、家の近所の、のちにカップラーメンにもなったらしい某有名ラーメン屋からの豚骨スープの匂いは店の煙突から1日とも絶えず町内に漂い、土日のバイパス沿いにあった大型ラーメン屋のお座敷席は子連れの家族客でいつも賑わいを見せていた。各テーブルの高菜と紅生姜は言うまでもなく、その店のカウンターには箱があって、その中には「お好きなだけお入れください」といわんばかりの皮を剥かれたニンニクがゴロゴロと入っていて、ニンニククラッシャーと一緒に置かれていたっけ。

東京に出てからのラーメンといえば、クラブの後の締めにと食べた夜明けのみそラーメンや、パートナーとなんだかお腹が空いて簡易な服装にジャケットを羽織って食べに行った深夜のラーメンが懐かしい。寝静まった住宅街のその店からこぼれる黄色い光は暗い夜道をそこだけ明るくしていた。暖簾をくぐればそこは別世界で、「いらっしゃい!」と活気ある店員さんの声が連呼して、罪悪感を感じながら食べた太麺に角煮なみ厚切りのチャーシューが載ったこってりめの醤油ラーメンはやたらおいしくて、楽しい至福の時間だった。

そして今、外国の中規模都市に住む私にとってラーメンはもはや贅沢品。ちょっとした特別な日に友人と時間をかけて食べるものとなっている。ご想像のとおり、終盤あたりで麺は伸び切ってしまって残念なことになっているのだが、それも楽しい会話が弾んだ証で、ラーメンの新しいカタチなのだと思う。

ホットワイン

 

 

金色の無数の光の粒に縁取られた小さな店が立ち並び、

人々はその店の前に並べられた簡易なテーブルを囲んで、

店から漏れたオレンジ色の明かりの中、

笑い合いながら何か温かいものを頬張っている。

厚手のコートを着ても、ニット帽を被り、さらにマフラーや手袋をしていても、

今日は足から痛いくらいに冷える。

私はその広場の真ん中の、

眩しいくらいに黄緑色にピカピカと光を放つ回転ブランコの前で、

白い息をフーフー吐きながら熱いホットワインを飲んでいた。

子供達の笑顔を乗せてクルクルと回る光に照らされたその赤紫色の液体は、

甘くて、クリスマスの匂いがして、

キラキラとした宝石箱の中にいるようだった。

 

 

ベルリン_Luciaクリスマスマーケット

地元人に愛されている決して大きくないけれど居心地のよいクリスマスマーケット。そこまで混雑していない平日の夕方がおすすめです。U2地下鉄駅から徒歩2分ほどの行きやすさも🙆‍♂️ https://www.lucia-weihnachtsmarkt.de

 

snow

ベルリン_ミッテ

雪が降っている日の朝は目覚めるといつも静寂に包まれていて、何もかもが落ち着き過ぎていて、自分の体も青い海の底に横たわっているかのようにゆっくりと脈打っているのがわかる。そんな余韻に浸りながらも、ぼーっとした頭でコーヒーを淹れて、いつものようにメールを開いた。

 

生きていると不条理なこともあるもので、無縁であったであろう下衆な人間が否応もなしに向こうからやって来ることもある。そのメールがまさにそれで、無かったことにしてやり過ごすこともできたんだろうけど、その日の私は、受けて立つことに決めた。自分がどの選択をしたら1番いい状態でいられるか、その選択が今の自分ではこれだった。

 

自分の意見を書いて1時的に爽快感を得たものの、結局、その私の1日は、満たされはしなかった。

ドイツ_ベルリン

ベルリンは今日も雪。銀色に透きとおった空の下、冷たく澄みきった空気がピリピリと頬を刺す。肺にもスッと冷気を取り込んで身を引き締めながら、こんな日もあると自分に言い聞かせた。

下北沢と時間

Trip to the Heaven

昔は出口が北と南の二つしかなかったその駅も、何もかもがまっ白でピカピカに新調されて、降りたってみれば「全く知らない場所」だった。何一つ面影すら、ない。

 

ライブハウス、おじさんとおばさんがいつも笑顔で迎え入れてくれたチーズとんかつのうまい定食、よくイタリアのパスタやトマト缶を安売りしていた輸入食品専門店、通いつめた銭湯、カウンター席で鳥のどの部位も余すことなくおいしく提供してくれて狭い店内がいつもぎゅうぎゅうに混み合っていた焼き鳥屋さん、屋上にあって友達と夏にビール片手に生春巻きを頬張ったアジアレストラン。私は昔そこに住んでいた。

 

Shimokitazawa

記憶は色褪せずに今でも鮮明に匂いすら思い起こすことができるのに、時間は私たちを乗せて次の停車駅へ向かう。

 

時間は戻らない。時間は止まらない。でも、各停や急行とどれに乗るかを決めるのは私たちで、ドアを無理やりこじ開けて下車して、「徒歩」を選択することもきっと可能だ。

浅草_浅草寺_海鮮焼き

 

 

東京を1日で回ろうなんて無謀だった。忘れていた、東京がとてつもなく巨大だってこと。コリアンタウン、原宿、そして、浅草に着いた頃にはもう夕方だった。

浅草_浅草寺

 

それでも境内にはまだたくさんの観光客と、高いビルに囲まれた東京では稀に見るひらけたオレンジがかった空には、蝉の声が響きわたっていた。

きっと自分が日本に住んでいたらなかなか足を運ばないであろう場所。そこにあるのが当たり前すぎるとそれはどんどん透明度を増して、透き通って、いつしかスーッと視界から消えていってしまう。

合羽橋道具街_スカイツリー

 

 

夜は海鮮焼き居酒屋で食べることにした。「大漁」と書かれた大きいド派手な黄色い絵を背に、各テーブルにはA4サイズのグリルコンロが所狭しと置かれていて、自分たちで焼いて食べるという楽しい店だった。談話の合間に焦げないように何度かひっくり返して、おいしくなるのを待つ。焼けたのまだ焼けないだの、どの席でも皆肩を寄せ合って調理に勤しんでいるのが微笑ましかった。ホタテにイカにホッケと、普段なかなか食べられない魚介類をお腹いっぱいになるまで食べた。

原宿

 

原宿_竹下通り

ギラギラと照りつける真夏の太陽を頭上に東京の人混みの流れに乗って目的地までひたすら歩く。暑さで頭の中は朦朧とし、水を飲んでは首筋をつたっていく汗を感じながら、歩いても歩いてもまったく先に進んでいる気がしない。隙間なくびっちりと立ち並んでいる店はどれも似通っていて、その店内は虹色の商品とお客でぎゅうぎゅうだった。

 

今日も人はどこからともなくとめどなく湧いてきて、犇あってはまた散って、東京を巡りめぐる。

 

I kept walking towards my destination with the flow of people under the scorching sun. The heat made me feel lightheaded and like the street would never end. I kept sipping water repeatedly, and beads of sweat went down my neck constantly.

Numerous similar-looking shops lined up on the street. It was hard to tell the difference between them. Every shop was overflowing with rainbow-colored stuff and people who flowed through every corner of Tokyo, gushing out from anywhere, flocking together, and dispersing endlessly.

 

原宿_竹下通り

 

宮古島台風_1日目

 

宮古島_パイナガマビーチ

 あんなに碧かった宮古島があっという間に灰色の渦に飲み込まれ、固定されていないものは何もかもが瞬く間に数十メートルにも先に吹き飛ばされてしまうほど強い風が吹き荒れて、私たちはこの「楽園」で丸2日間家に閉じこもらなければならないという選択を余儀なくされた。

「物資を運ぶ船が台風で欠航になると食糧不足になる」という情報を聞きつけてスーパーに駆け込むも、時すでに遅し。日持ちするカップラーメンや飲料水の棚にはペットボトルの6本パックを包んでいたであろうビニールや商品が入っていたであろう空き箱などの残骸が残されているくらいで、本当に空っぽだった。

 

それでも何軒か回ってやっとみつけた戦利品。

 

 東京に比べると家の造りも、電柱の電線も、水道管も何もかもが頼りない。美しい島に生活する住人の、「楽」と隣り合わせにある苦の側面を少し垣間見た気がした。

 風がゴンゴンと雨戸を叩く音が強まるたびに、家が崩壊しはしないかと寝るにも寝られず、テレビの音声のない台風情報の明かりが部屋の中をチカチカと一晩中照らしていた。